病院での療養編


入院勧告書(応急入院)

◉40代男性(会社員)
時期:2021年6月4日~23日
家族構成:妻、0歳(6ヵ月)と2歳の子どもふたり/2021年1月から社宅に入ったばかり 

 

経緯

6月4日(金)に全身の倦怠感、翌5日(土)から38度前後の発熱。6日(日)に39度を超える。7日(月)に抗原検査・PCR検査を受け陽性と判明。家族3名は陰性。10日(木)から14日間の入院を経て仕事復帰。

 

重症度分類

重症のひとつ手前の「中等症Ⅱ」(SpO2≤93%)。

※SpO2=経皮的動脈血酸素飽和度。96~99%が理想的な値。疾患によっては数値が低下する。肺から酸素をしっかり取り込めているかを測る。

 

症状

高熱、全身の倦怠感、発汗。39度を超える発熱は8日ほど続いた。酸素飽和度(SpO2)は88%の時もあったが、人工呼吸器は使わなかった。味覚嗅覚は正常。その後、ステロイド投与(※)で発熱は改善。

 

※中等症 II 以上では、ステロイド薬の使用によって予後改善効果が認められるため、強く推奨されている。(新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き・第4.2版より)



発症から入院までの経緯

インフルエンザの予防接種をしていたため、そこまで熱が高くならないのかなと思っていた。

37.5~38度の発熱。味覚嗅覚は正常だった。

コロナかもと思い、休日診療のクリニックをネット予約する。発熱がある人は屋外のベンチで待つが、1時間以上経っても呼ばれず、体調も優れないためそのまま帰宅した。



別の医療センターの発熱外来へ行き、抗原検査を受ける。ここで陰性の場合は発熱外来を受診、陽性の場合はPCR検査となる流れ。朝9時で10名ほどが検査に来ていた。抗原検査で陽性と出る。PCR検査を受けるため、設置されたプレハブで1時間ほど待機。ひとりだった。

 

解熱剤をもらって帰宅。コロナ陽性の場合、以降は病院ではなく保健所の管轄になり、保健所からの指示に従うことになる。

 

保健所から電話があり「自宅療養」か「ホテル療養」かを聞かれる。幸い家族と部屋を分けることができたこともあり、自宅療養を選択する。

 

会社の上司に報告を入れる。

38.5~39.5度の発熱が続く。

家族がPCR検査を受ける。

この間、毎朝保健所から電話があり容態を聞かれる。



PCRの検査機関が休みだったため、1日遅れて10日の朝、家族3人は陰性だとわかる。

熱は下がらず39.5~40度、しんどい、苦しい。

保健所からの電話で「発熱、長いですね」と言われる。酸素飽和度を測る機械(パルスオキシメーター)を7日に自宅宛に発送したというが未だ届いていなかったため、届けてくれた。測定値は92%と低い。

 

 家族の陰性が判明したタイミングだったこともあり、ホテル療養か入院をすることにした。会社では前例があったため、入院したほうがよいと言われる。

 

保健所の人が車で迎えに来る。防護服の担当者、ビニルで覆われた車内。乗り合いの乗用車で、途中もうひとりをピックアップして医大病院へ。

 

 入院先が決定してから迎えにくるまで1時間程しか時間がなかった

妻はありったけの下着を用意し、近所のコンビニへ走ってお金をおろしたり、飴やお菓子などの食料を急いで準備した。

 

家族は陰性だったが、濃厚接触者であるため2週間の外出禁止となった。

 



入院生活、治療の経緯

6人部屋にひとりだった。1日半くらいはふたりになったが、その患者がいろいろクレームを言って他の部屋に移動していった。

隔離病棟には5~6人いたと思うが、直接顔を合わせることはなかった。

 

入院直後にCTスキャン、レントゲンを撮る。肺炎を起こしていた。その後、解熱剤を服用。

また、コロナになると血栓ができやすいとのことで、それを予防するため、へその左(朝)と右(晩)に注射を打つ。皮下注射の痛みは数秒だが打つ場所が限られるので日ごとに注射痕(あざ)が大きくなり鈍い痛みとなった。

41度の発熱が続く。多量の発汗とだるさ、食欲はなくはない。味覚嗅覚は正常。高熱が続き、意識も朦朧としていて、TVも見る気がしない。

 

入院したのに少しも熱が下がらないことにイライラを覚え、医師に「どうなっているんですか? 点滴でもなんでもいいから対処して欲しい」ときつく当たることもあった。

ステロイド投与開始

ステロイドの投与が始まり、急に熱は下がる。

 

重症の一歩手前の中等症Ⅱという状態だった。通常なら酸素吸引が必要な段階だが、呼吸はできていたので酸素吸入はしなかった。酸素濃度は88%まで落ちていた。

ほぼ平熱の36.5~37.5度あたりまで下がる

「なぜもっと早くステロイドで治療してくれなかったのか?」と尋ねる。

「ステロイド投与にはタイミングがある。感染症のリスクもあるし、まずはコロナウイルスを体外に出して10日間(※)くらい経って、収束に向かったタイミングでの投与が望ましいとされている。無理にウイルスを抑えても後でまた発症する可能性があるので、10日間という時間を空けていた」という説明を受ける。

 

※COVID-19のウイルス排出期間:遺伝子は長期間検出するものの、感染力があるウイルス排出期間は10日以内(新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き・第4.2版より)

 



熱は下がったので18日には退院できるかと思ったが、ステロイドは10日間投与を続けなければならないため、22日までステロイド投与を続けた。

 

また、ステロイド治療中は血糖値上昇の副反応が出る為、食前/食後で1日6回の血糖値測定あり。食後で〜170mg/dlくらいだった。指先に穿刺して血液を出して試験紙で吸って値を確認する。

発症日から10日間経過し、かつ症状軽快後72時間経過した場合、退院可能という流れがひとつらしい。経過観察の状態も良かったため、23日(火)に退院できた。

 

また、「退院直後は目の焦点が合ってない感じがした」と妻。「ずっとベッドでスマホを見ていたからかも」と本人。

 

退院してから仕事復帰まで

会社の産業医のウェブ面談で問題ないと判断され、25日(木)からリモートワークで仕事に復帰した。

 

体調は普通だが、頭がぼんやりしたり、ウェブ会議もしんどい状態が続いた。また筋力が落ちたせいか、椅子にずっと座っているのがつらい。

 



入院生活の詳細

▼隔離病棟

患者がエリアから出ようとするとブザーが鳴る仕組み。防護服を着用した医師や看護師はファスナーのついたビニルを開閉してエリア間を移動していた。

 

▼入院中のマスクは?

看護師さんからは部屋から出る際(トイレ/シャワールーム)は着用するよう指示があった。個人的な気遣いとしては、医者の回診時(1日1回)と看護師さんの訪問時(食事など含め6〜8回)は着用するようにしていた。

 

▼食事

8:00、12:45、18:00に食事が提供される。21時に消灯となる。袋に入ったお弁当で、1日1600kcal。食べ終わったら袋に入れて、自室の専用のゴミ箱に捨てる。不燃可燃の別はなく感染性廃棄物として処理される。

  

▼シャワー

熱が下がるまではシャワー無し。大量のおしぼりで自分で体を拭いた。トイレは自由に行けた。

 

▼洗濯

自分でできたので下着は洗った。あとは1日210円のレンタル病院服(前開きタイプ)を利用した。

 

▼寝具類の交換

枕カバー/シーツの交換は入院中一回も無し。有料(210円/日)の病院服は毎日交換。

 

▼テレビカード:10時間分が2日に1回配給された。

 

▼差し入れ

家族は外出禁止のため差し入れは無し。購買のリストにあるものは注文可能だった。注文して翌日に届く。外部からの差し入れは可能だが、血糖値測定もあるため入院中の間食やジュース類はできれば避けることを推奨された。

 

▼部屋の掃除

2週間のうちに、ベッド周りを一回掃いた程度だった。

 

▼あると便利な延長コード

ずーっと寝たきりなのでぼんやりとスマホを見る機会が非常に多かったので充電を頻繁にしていた。

コンセントはベッドの頭上に設置された医療器具類向けの一つしかなく、延長コードがないとApple純正の充電ケーブルだと、ベッドまで届くか届かないかの状態だった。

 

▼入院勧告の書類

国から入院勧告が、家族へは隔離勧告の書類が郵送されてきた。実際には時差があって届いた。



かかった医療費は?

入院費は指定感染症のため全額公費負担。実費負担は下記。

・病院服レンタル:3,234円(210円×14日+消費税)  

・水(ペットボトル購入):1,580円(2L/本:158円×10本)


入院中の不満は?

「なぜすぐステロイド治療をしないのか」などの説明は事前にしてほしかった。

薬は服用する分をその都度もってくるし(※)、退院までの全体の説明がなく、いつ復帰できるかを会社に伝えられず気をもんだ。

先生にも尋ねてはいたが、「状況を見極めながら」という返答だった。今思えば、それしか答えようがなかった気もする。

 

※発症から2週目までが急速に症状が進行しやすいため、診療や巡回の頻度を増やす意味があったと思われる。


感じていた孤独と支え

写真はイメージです

「4Fの病室から見えるのは病院の駐車場と一面の田んぼでした。

大きな病院なので、朝は8時くらいから広々した駐車場がびっちり埋まり、夕方6時にはまたがらんとするので、完全隔離も相まって毎日取り残される感がありました。

 

また毎日2週間も同じ場所にいると田んぼの苗の成長も遠めでもわかったりして、余計に自分の状況が不安になったり……。

 

物理的な身体の辛さはもちろんながら、孤独感も結構ありました。その時は友人にもなかなか話しづらかったし。

 

会社や家族など、日々連絡して状況を話せる先があってよかったと振り返って思いました」



仕事への不安と会社の状況

長期の休みに対して不安はあった。本人の感染経路は社内感染と推定(1名は本人の発症前、もう1名は同タイミングで発症)しているが、保健所/社内から感染経路に関する具体的な質問や調査は無かった。

 

一方で保健所からは発症3日前〜発症日までの外出・会食や行動など詳しく質問を受け、6/2に昼食を共にした同僚2名は保健所から濃厚接触者と判定を受けた。この2名は、保健所から会社まで連絡が行き、PCR検査及び陰性であっても濃厚接触者として2週間の隔離生活をするよう指示が出た。

会社の本人の所属していたフロアは夜中に消毒作業が行われたという。

 

昨年(2020年)のコロナ発生当初は、感染すると「えっ!」という社内の反応もあったが、1年経ち「誰しもがかかるリスクがある」という理解が生まれている印象。但し社内及び外部との飲酒を伴う会食は禁止、プライベートに対しても厳しい自粛要請が出ている。

 

5月は仕事が激務で、免疫力が低下していたのが重症化した原因ではないかと医師に言われた。本人にもその自覚あり。


耳にした東南アジアの状況

仕事柄インドネシアやマレーシア、インドの入院状況などローカルな情報を聞く機会がある。

・8人部屋に8台の2段ベッドが置かれていた。

・患者が部屋に収まりきらず廊下にベッドが出ていた。

・病院に入れず自宅療養(で重症化)など

東南アジアなどの入院状況に比べると極めて恵まれており、感染したのが日本にいる時で良かったと思った。

 


妻の気持ちと両親のサポート

濃厚接触者へ2週間気をつけるポイントをお願いする保健所からの案内など

夫の発熱前日を含めて2日ほど同じ車で移動したり割と狭い空間での接触があったため、「わたしたちも症状が出てないだけで感染しているだろうな」と覚悟はしていた。陰性だと分かりほっとし、自分の体調管理と子どもの世話に専念した。

 

夫が自宅療養していた期間は、毎朝保健所からの容態確認の電話があったが、入院後は保健所や病院からの連絡はなく、本人との電話だけが唯一の情報源だった。

入院直後、発熱がつらくてスマホもさわれなかったようで、1日連絡が取れない時間があった。病院への問い合わせも迷惑かと思いしなかったが、とても不安な時間を過ごした。

 

買い物はおもにネットスーパーや出前サービスなどで対応。普段から利用していたこともあって、そこまで戸惑うことはなかった。

 また、車で1時間ほどのところに住む夫の両親が食べ物を届けてくれたのは、気持ちの面でも有り難かった。

 

住まいは社宅。半年前に引っ越してきたばかりで近所との付き合いはまだ少なかったこともあり、直接的なやりとりはなかった。おそらく周囲の人も事情は知っていたと思う。エレベーターで誰かと一緒になることのないよう、夜中にゴミを出すなど気を遣った。